被災地・仙台の(FSJ)ボランティア活動記

昨日17日(日)ボランティア活動に参加してきました。 募金や節電など自分に出来る事を行っている毎日ですが、スケジュール的な事などを含め、これなら行けると思い、申し込み・参加しました。
参加したボランティア活動はFootball saves Japanによる復興支援遠征バス・ボランティア
FSJ関係者の皆様ありがとうございました。 そして、一緒に活動を行った皆様お疲れ様でした。 応援するクラブの垣根を越えての活動。 ”Jリーグのサポーター”の活動でした。 私はギリ終電で帰れました(笑)。 そして今 身体とくに腕がアレです…(笑)。 それでも、行かないと分からない事や感じられた事が大きく、行って良かったと本当に思います。 また行けるタイミングを作り、被災地で支援しなければと考えます。
活動は、土曜の深夜に横浜・新宿をバスで出発。 9時〜夕方前まで活動して、新宿・横浜に戻るスケジュール。私が行った作業は家屋の片づけ(泥だし・家財の運び出し・瓦礫の撤去)で、場所は仙台市宮城野区の岡田地域と言われる所。
まず、活動に入る前のバス移動中に衝撃を受けました。 東北道の道路が波を打っていたり、繋ぎ目の部分がズレて段差になっていて(補修はされているのですが)乗っているバスが何度も何度もガツンと大きな衝撃を受けます。 私はほとんど寝れませんでした…(もともと何処でも寝れない人間なので)。
そして、現地について見た光景。 ”焼け野原”とはこういう事を言うのかと思いました。 火災があった地域ではなく、また私は戦争を経験したわけではありませんが、そう感じる程の状況でした。


立っている家もとても住める状態ではありません。 1m50cmの津波が襲い家の中はメチャクチャ状態。 家財もほとんど使えない物になっており、20cm以上になる泥が残っています。 その泥も木の枝や草・もともと家の中にあった物が混ざり、水分も蒸発し固くなってしまっています。 その泥や家財を外に出すのが私達の作業。 おもいっきり力作業です。 というかアレを家主がやるのは不可能。 高齢者しかいないご家庭も多いようですから。 私達は8人〜9人で1グループを組み何軒かの家を担当しました。 泥だしは大変だったけど砂と水分を含んだ畳が1番重かったかなぁ。 そうそう、作業する格好ですが、そういう状況なのでジャージの上に合羽を着て行います。長靴にゴム手袋・防塵マスク等々。 1日で2Kgもダイエット出来ました(汗)。
そんな大変な作業でしたが、家財や泥をすべて出した時は嬉しかったです。 畳とか壁・窓など新しくすれば、また住めるじゃんと思う事が出来たので。 自分の作業がたとえ僅かでも被災地の復興に繋がる事は何とも言い難いものがありました。
被災者から聞いて印象に残った話し。 『これ役に立たなかったよ』と苦笑いを浮かべながら話したお婆ちゃん。 手にしていたのは防災袋。 押入れの中にあった防災袋を持って出る余裕もなく津波から逃げたようです。 また、津波に呑まれメチャクチャになった車を指差し『これ私の車だったのよ〜』と話す方も。  でも命があって本当に良かった。
最後に。今回作業を行った岡田地域にボランティアの手はほとんど入っていませんでした(避難所を除く)。 というかボランティアの手が入っている地域のほうが少ないのでは。 1度参加しただけの私が言うのもおかしいですが、ボランティアの手は圧倒的に足りていません(受け手の問題もあるかもしれませんが)。 もっとたくさんの人が被災地へ行って復旧作業を行わなければ時間がかかってしまいます。 俺には無理だよなんて考えずたくさんの人に行って欲しい。 特に力作業が出来る20才台30才台の男性の方々。 計画停電じゃなく計画ボランティアなんていう制度を作ってもいいんじゃないかな。 会社とか町内会単位で半強制的に行くような感じで。
1日も早い復興を願い、自分もまた何か”最善の直接的な支援”・間接的な支援に取り組みたいと思います。



(今回撮った写真はいつも撮ってるデジカメでなく携帯の写メです。 写真を撮りにいったわけではないのでデジカメは持って行きませんでした。 また、家の中の写真は被災した方に申し訳なく撮りませんでした。)